上押野とは

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安曇節で「槍で別れた梓と高瀬、巡り合うのが押野崎」と歌われたように、明科押野は安曇野複合扇状地の中の犀川、高瀬川扇状地です。歴史は古く570年頃より安曇氏が定着し、高瀬川、犀川沿いを開拓、開発したとされます。

時代により呼び名が変わり、安土桃山時代より押野と呼ばれるようになりました。名前の由来は「晩稲(おしね)※1」がよく育つ所だったと言う説と、犀川と高瀬川の間に押し出た地形からという説があるようです。

古くから川の恩恵を受け、豊かな自然とともに生きてきた歴史ある町です。現在では、押野山と高瀬川に挟まれた農地と住宅地、また周辺の里山が「上押野」地区と呼ばれています。

※1・・・晩稲とは