農用地等を活用した押野「ええっこ」区民そば園景観形成活動
1、基本方針
押野地域は高瀬川の流路に沿って発達した平坦な部分と傾斜とが交互に現れ
る段丘で、段丘面は地下水面が低く、段丘崖の下には湧水が出ています又
宮沢・堂の沢・天王沢の沢があり段丘崖下に小扇状地を形成した地域です。
1847年3月24日善光寺大地震が発生し。折しも御開帳開催中で、全国からの参詣者が多く地震により焼死・圧死した旅人は1,180人、信濃から越後にかけての被害は甚大で家屋全壊18、447軒、死者7,146人にのぼったと言われています。この地震で各地に山崩れや地割れが発生し上押野白崖・法道対岸の鍵山・袖山善集落・相道寺権現沢等の記録があります。押野では山崩れで10軒余の家が埋まる被害が出ました。白崖には村上義清(よしきよ)の従弟、義豊(よしとよ)が上田原で信玄に敗れ、落ち伸びた居城白沢城があったと言われていますが、白崖にあるため崩落により昔の姿は留めていません。
明治中頃国策により生糸輸出が盛んとなり農村に景気をもたらし養蚕が盛んとなりました。大正14・5年頃、養蚕家有志が集まりお蚕様建立の話が決まり村内一円から寄付を集め、大正15年5月に建立。蝶合山蚕影神社と呼ばれました。祭りは5月の八十八夜と定められ、毎年盛大に行われたということです。祭り当日、当時珍しかった一口附け句会を行い、近隣からも多くの投句があったそうです。
本活動計画は過去の自然災害・居城と養蚕業が盛んなころの生活を伝え農用地を遊び学びの場として活用し、地域住民が協働してそばを栽培し、栽培を通じて農用地の重要性や、農作業を伝える機会と、作付けによる景観形成をテーマに栽培しています。
2、活動範囲 本番 4、177-1 3、103㎡
本番 4、182-2 875㎡
本番 4、182-1 870㎡
3、活動の内容 【手作りそば体験】種まきからはじめ収穫体験、そばを味わう会を開催し多くの皆様の交流をはかります。
① 播種体験 ②土寄せ体験 ③刈り取り体験 ④そばを味わう会
押野新そば粉によるそば祭りをおこない区民の皆さんに新そばを味わって頂きます。
4,啓発・普及活動
ホームページでそば園の管理活動を掲載公開します。