上押野の今
上押野の歴史
上押野の未来

上押野の今

現在の上押野上押野区では農地と農地用水等の保全・管理事業のほかに、伝統文化を若い世代に伝承するための様々な取り組みや、地域住民の交流活動を積極的に行っています。
ここではデジタル映像として記録したものを紹介します。

上押野の歴史

押野山風景明科歴史年表によると、上押野の歴史は古くは570年頃に安曇氏が定着し、高瀬川・犀川沿いを開拓・開発したことに始まると記されています。
時代が巡り、様々な合併や改編を経て上押野と呼ばれるようになった上押野の歴史に触れます。

上押野の未来

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安曇節の一節に「槍で別れた梓と高瀬巡り合うのが押野崎」と歌われている様に明科押野は安曇野複合扇状地のなかの犀川・高瀬川扇状地です。水にも恵まれ米どころとして、又豊かな自然環境と生活環境を併せ持つ地域であり、古くから川の恩恵を受け、豊かな自然と共に生きてきた歴史あるまちです。押野にはいろいろな財産・資源があり広大な農地水田706,103㎡・畑220696㎡・農道が9,200m・用水路8,400m・排水路5.800m・内川用水路2,000mに及ぶ大きな財産が有り、文化・歴史・環境などに併せ地域コミュ二ティが希薄になる中においても、昔あった「ええっこ」結(ゆい):相互扶助の精神による思いやりの心などの資源が沢山あります。

安曇野市が掲げる将来都市像である「北アルプスに育まれ共に響きあう田園産業都市」の一翼を担い大きな財産と資源とこの恵まれた自然環境・生活環境を将来に受け継いでゆくことが私たちの責務です。自助・共助・公助と協働のまちづくりの推進により、住みよい豊かな社会づくりを目指して行きましょう。

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